どうも、おのじ(@ozy_san_0624)です。
時々無性にギレンホールが見たくなる時があります。素敵な素敵なギレンホールを。
あの眼力の強さとニヒルな笑い方に、どうしようもなくときめくんですよね~好き。
さて、そんなわけで今回初めて見た、ジェイク・ギレンホール主演の『複製された男』です。
邦題からイメージしたのは、SFホラー。
クローンに人生乗っ取られるとか、それ系の映画でしょ、多分。なんて思って見たのですが、実際はそんな予想の斜め上をいく映画でした。
まさに考察映画。
さんざん考察されまくっている作品ですが、いまさら感想を書いていこうと思います。
Contents
複製された男:あらすじ
自分と瓜二つの人物の存在を知ってしまったことから、アイデンティティーが失われていく男の姿を描いたミステリー。大学の歴史講師アダムは、DVDでなにげなく鑑賞した映画の中に自分とそっくりの端役の俳優を発見する。驚いたアダムは、取り憑かれたようにその俳優アンソニーの居場所を突き止め、気づかれないよう監視するが、その後2人は対面し、顔、声、体格に加え生年月日も同じ、更には後天的にできた傷までもが同じ位置にあることを知る。やがて2人はそれぞれの恋人と妻を巻き込み、想像を絶する運命をたどる。
引用:映画.com
「複製された男」の原作小説は?
本作の原作小説は、ポルトガルのノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの小説『複製された男』(原題:The Double, 2002年)。
本作の映画原題は『ENEMY』なのですが、小説の方が邦題に印象が近いんですね。
だけど本作の内容からすると、『ENEMY』の方がしっくりくる内容でした。
自分自身の欲望が、人生の敵って意味にとれるのでね。
ジョゼ・サラマーゴの作品は、本作以外にも『ブラインドネス』が映像化されています。
視界が真っ白になってしまう伝染病が蔓延する世界を描いた、サスペンス映画。
こちらも気になりますねぇ。
1回目に「複製された男」を見た後の、私の反応
本作を見終わった後の私の反応は、
でした。
ストーリーはこんなところ。
映画で自分そっくりの男を見つけたアダム。
アダムが、自分そっくりの俳優・アンソニーを探し出して接触。
アンソニーが、アダムの恋人メアリーに目をつける。
アンソニーはメアリーと寝たいがためにアダムを脅し、アダムと入れ替わる。そしてメアリーとベッドイン。
途中でアダムではないと気づくメアリー。
思いもよらないエンディングへ。
この映画の見どころは、
- アダムとアンソニーは同一人物なのか?
- お互いの人生はどうなってしまうのか?
という所。
この2点を通して、主人公の抑圧しきれない欲望や感じているプレッシャー、それらのせいで、自身の幸せが壊れていく様を描いているのかなと感じました。
私は破滅的な見方をしましたが、wikiの作品説明を見ていると、「男女の愛を語る作品」とあるので、私は表面上しか見れていなかったのかも。
でもそのくらい、1回みただけでは、作品の意味や言わんとしているところがつかみきれない映画だと思います。
その最たるものが、本作のところどころに出てくる蜘蛛。
ビルをもしのぐ大きさの蜘蛛が街を闊歩していたり、秘密クラブの美女が蜘蛛を踏みつぶそうとしていたり。
ラストではアンソニーの妻ヘレンが巨大な蜘蛛になるシーンがあって、
と一気に混乱してしまいまいました。
蜘蛛が何を象徴しているのかは、はっきり分からないまでも「何かの暗喩なんだろうな~」とは思っていました。
ただそれが何なのかが、本作を1回見ただけでは全くわからない。
情報を探しても、確かな答えはありませんしね。
そのおかげで、私の考察サイト巡りが始まったんですよね。
そして多くの考察を知ることができて、映画を読み解くうえでとても参考になりました。
キーワード
どうやら、本作を理解するためのキーワードは以下のようです。
作中、アダムが歴史の講義で繰り返していた「独裁者」「支配」「歴史は繰り返される」といった言葉が、アダムの現状を表している。
蜘蛛は母性、支配、女性の嫉妬の象徴。
蜘蛛は、六本木ヒルズにあるルイーズ・ブルジョアの「ママン」をオマージュしているそう。
なるほど、「ママン」という名前からしても、蜘蛛が母性の象徴というのはうなずけます。
アダムと母親とのやり取りが劇中にありますし、アンソニーの妻ヘレンは妊娠中です。
蜘蛛が象徴しているのは、彼女たちの事なのでしょう。
事実かどうかは別にしても、アダムまたはアンソニーが、女性に支配されている、と感じている現状を表しているのかもしれません。
そして、映画冒頭から怪しげな秘密クラブで、美女たちを嘗め回すように見る男性陣&アンソニー。(このシーン、ちょっと怖かった)
アンソニーは過去に浮気もしていて、そのことをヘレンに責められています。
それなのに、いくら気になるからってアダムを脅して彼に成りすましてまでメアリーと寝ようとするなんて。
ちょっと引いてしまうほどの色欲じゃないですか。まったく懲りていないアンソニー。
そしてそんなアンソニーの提案を受け入れてしまうアダムもさ…。
おいもっとしっかりしろ。と言いたくなりましたけど、それはおいておいて。
主人公が抑圧している欲望というのは、肉欲のこと。
抑圧というか、抑えきれずにすでにほとばしっているんですけどね。
ここにも「蜘蛛」が象徴しているもののひとつ、「嫉妬」が関係してきそうです。
過去に浮気をし、懲りずにまた妻以外の女性と寝ようとするアンソニー。
そんな彼は、ラストで自動車事故にあいます。そして車の窓には蜘蛛の糸のようなヒビが。
これはヘレンの嫉妬を表しているんでしょうね。
そして、「歴史は繰り返される」というキーワード。
これは、アダムの淡々とした変わりない毎日の繰り返しの事で、それを自身でも味気なく感じているということなのかな、と感じました。
職場に行き、毎日同じような内容の講義をして、帰ってきて、恋人と寝る。
そんな毎日の繰り返しです。
アダムと恋人が寝るシーンはルーチンワークのようで、ロマンもへったくれもないですよ。
それから、アンソニーの浮気、秘密クラブの存在もあります。
一度反省しても、欲望があるかぎり、また浮気を繰り返す。
その暗示も含まれているのかな、と邪推してしまいました。
解釈を読んでから見直す
さて、蜘蛛の意味も何となく分かったところで、もう一度本作をみなおしました。
本作ははっきり答えが示されているわけではないですし、そういう風に作られている映画なのだと思います。
ただやっぱり、何となく主人公の感じているプレッシャー、欲望、愛情については、ちょっと近づけたような気がしました。
なんとなぁく分かった気になったところで、やっぱり気になるのが、アダムとアンソニーは同一人物なのか?それとも別の人間なのか?ということです。
これは二重人格の物語か、またはドッペルゲンガーか、はたまたクローンか
アダムとアンソニーの正体は、本作でも原作でも明言されていません。
二人は同一人物の別の人格なのかもしれないし、クローンかもしれないし、ドッペルゲンガーかもしれない。
どんな解釈もとれそうな描写になっています。
ただやっぱり、一番有力なのは二重人格説。
アダムとアンソニーが会うシーンは、二人の脳内での出来事。
そしてメアリーは主人公の過去の浮気相手。
つじつまが合わないのは、アダムの体験していることと、アンソニーが体験していることの時系列が、実はバラバラだから。
ただ、個人的にはドッペルゲンガー説を押したい。
ホラー漫画とかでよく、もう一人の自分が、自分の人生を乗っ取ってしまう…という展開があるじゃないですか。
本作も、その展開なんじゃないかなぁ、なんて最初思ったんですよね。
アダムがアンソニーの人生を歩まなければならなくなったのは、乗っ取ったというよりは、図らずも…という構図ですけれど。
ドッペルゲンガーは、自己の罪悪感の投影としても現れます。
それなら、アダムはアンソニーが感じている「周囲が自分に期待している姿」で、そうなりきれないアンソニーの罪悪感の現れだったんじゃないか。
反対にアンソニーは、「アダムが抑圧している欲望を体現した存在」で、欲望に対するアダムの罪悪感の現れだったのでは。
ドッペルゲンガーは死の前兆ともよく言われるので、最後にアンソニーが大事故にあったのもそのせいだったんじゃないかなぁ…なんて。
そんな風に考え始めると、どんどん妄想が広がって楽しいったらないんですよね。
おわりに
以上、『複製された男』の感想でした。
考察の面白さもさることながら、本作では今一つあか抜けないギレンホールとイケイケのギレンホール、その対比を楽しめるのもポイント高かったです。
どっちがタイプかというと、私はあか抜けないギレンホールの方がタイプですねぇ…。私のなけなしの母性本能がくすぐられるのでね。
いや、それにしてもほんと、映画の考察できる人ってあらためて尊敬するなと感じました。
本作のような考察が必要な映画をみた後って、私は必ず考察サイトのお世話になるんですけども。
いつも驚くのは、イチから情報を集めて考察する方々の、スキルのすごさですよ。
得に情報収集力。
まず情報がないと、考察できませんもんね。しかしどこから集めてくるのだろう、その情報。
その手腕がうらやまP。
作品情報
原題 | Enemy |
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製作年 | 2013年 |
製作国 | カナダ・スペイン合作 |
上映時間 | 90分 |
監督 | ドゥニ・ビルヌーブ |