どうも、おのじ(@ozy_san_0624)です。
第76回ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞し、全米公開3日間で暫定9350万ドル(99憶8318万円)の興行収入を記録という、華々しいスタートをきった『ジョーカー』。
公開初日には鑑賞した方の絶賛コメントが数多くネットに上がっていて、私の期待はさらに上昇。
そんなわけで、公開翌日、早速私も見に行ってきましたよ。

この映画、本当にすごかった。
もうその一言に尽きます。
実はバットマンとジョーカーについては、今まであまりよく知りませんでした。
- 舞台はゴッサムシティ
- バットマンは父親と母親を殺されたことをきっかけにヒーローになった
- バットマンはスーパーパワーをもたない
- ジョーカーというヴィランが登場する
- 他にもキャットウーマンとか色々出てくる
私の予備知識といったら、せいぜいこんなもの。
だもんで、初めは『ジョーカー』が公開されるらしいと聞いてもあまり興味がわきませんでした。
ですがたまたま本作の予告を見たとき、「これは何だか凄そう…!」と一気に印象が変わることに。
実際、本当にすごい映画でした。
心に残るというよりは、ガッ!と刻まれる感覚の映画。それに、後から思い出すたびに心が揺さぶられるんですよね。
アカデミー賞確実と言われるのも、伊達じゃないよなぁ~…。と、鑑賞直後の放心状態でコーラにむせながらぼんやり思うほど、素晴らしい作品でした。
※ネタバレにご注意ください。
あらすじ
本当の悪は、人間の笑顔の中にある。
「どんな時も笑顔で人を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに秘かな好意を抱いている。笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気あふれる〈悪のカリスマ〉ジョーカーに変貌したのか?切なくも衝撃の真実が明かされる!
冒頭から辛い。身も心も虐げられる主人公・アーサー

孤独で、世間の悪意と無関心にさらされ、搾取される人生を歩む、心優しい主人公アーサー。
痩せすぎの体で、障害のせいで突然笑いだしてしまう彼は、周囲から浮き、他人から不気味がられ、心ない扱いを受けます。
けれども「人を笑顔にするのが使命」とコメディアンをひたすらに目指すのです。
アーサーの言動や行動が場にそぐわないのは、見ていてすぐに理解できます。
そのために彼の「コメディアンになる」という夢が叶わないだろうことも、つましい生活を維持することすら難しいのも、このままでは彼は死ぬまで搾取され続けるだろうことも察してしまう。
ガリガリの体とおかしな挙動で他人に踏みつけられてなお、叶わない夢を追い、自分を認めてもらいたい、愛されたいと夢想するアーサー。
現実と彼の望むもののギャップ、その溝が埋めらる日は来ないことに、ひどく切ない気持ちにさせられます。
映画冒頭で、アーサーが指で口角を引き上げ無理やり笑顔を作るシーン。
体も精神も確実に削られているのに、それでも笑顔を作ろうとするアーサーが哀れでみじめで、観ている者の心も削ります。
もう、スタートからして辛い。
本作でのアーサーは、「なぜこれほどまでに?」と思うほど悲惨に描かれていますし、アーサーの風貌がまたそれに拍車をかけています。
そして、アーサーを演じるホアキン・フェニックスの表情がまた素晴らしいのなんの!
彼の演技が「怪演」とよく評されていますが、まさに怪演でした。
ホアキンはジョーカーについて「絶対にフェイクなものにしたくなかった」とコメントしていたそうですし、実際役作りのために20㎏以上減量。
意気込みも演技も尋常じゃない。だからあのアーサー=ジョーカーが生まれたのか、と納得してしまいました。
自分と重ねてみてしまう、無関心と搾取

トッド・フィリップス監督は、ジョーカーの人物像を含め、リアルな描写にとことんこだわったのだそうです。
そのためか、『ジョーカー』を見ていると現実に当てはまることが確かに多い。ついつい自身の現状や過去と重ね合わせてしまったという人も多いんじゃないでしょうか。
観ていて心が重くなるのは、この「リアルさ」が原因に感じます。
例えばアーサーの相談を受けていた相談員。
彼女はアーサーが何度も「自分が存在しているのか分からない」と話していたのに、恐らくそれに対しての答えを出してこなかったのだろうし、彼の話を親身に聞くこともしなかった。
予告シーンにもありますが、誰が見ても彼がネガティブな状況にいるのは分かりきっているのに、「ネガティブになってない?」という質問をしてしまう。(この後の「ネガティブに決まってるだろ」というアーサーの言葉が悲しい…)
相談員の彼女から感じたのは、「無関心」でした。
他にも、上司からは心ない言葉をなげかけられ、同僚に罪をなすりつけられる。
母親には暴力から守ってもらえず、憧れていたマレーにはテレビで笑いものにされてしまう。
自分の父なのでは?と会いに行ったトーマス・ウェインからは、冷たい言葉と事実を突きつけられる。(あと拳も)
「無関心」「差別」「格差」「暴力・虐待」「無理解」
まさにアーサーはこの世の負の側面を一身に浴びてしまうわけです。
そして彼に襲い掛かる「負」には、大なり小なり、自分もしたりされたりした経験をもつ人が多いのでは?と思います。
本作を観ていると、アーサー(ジョーカー)に同情してしまうし、彼を応援したくなってきます。
でもそれと同時に、彼が受けている無関心や冷たい世間の対応に心当たりがある自分もいて、罪悪感も感じてしまう。
自分もジョーカーになってしまった側かもしれないし、ジョーカーを作ってしまった側かもしれない。
この観客も巻き込むストーリーも、本当に素晴らしかったです。
もはやジョーカーを、純粋な悪としてはみれない

「狂気の悪役」と言われるジョーカー。確かに過去作を見ていると、狂気という言葉がぴったりです。
しかしアーサーがジョーカーになった過程を知った後では、もうジョーカーがただのヴィランには思えなくなっていました。
先にも書きましたが、アーサーは初めから悪だったのではなく、世の中の悪意にさらされ続けた結果、ジョーカーになります。
アーサーは、まるで並んだチーズの穴をくぐるように悪の象徴へ一直線。
チーズの穴を世の中の「無関心」「悪意」といった負のものと考えると、ジョーカーという存在が生まれたのは、社会へのしっぺ返しなのかもしれないなぁ、なんて思えるのです。

ジョーカーが街の階段で踊るシーンでは、序盤のアーサーにはない自信と、善悪の境界線をふっきってしまった印象を受けます。
ここが本当にかっこいいし、色気を感じるんですよね。
あぁ、アーサーは本当にジョーカーになったんだなぁ、と思った瞬間です。
ラストではデモにわく街の住民に担ぎ上げられ、その中心で踊るジョーカー。
アーサー=ジョーカーが、初めて自分の存在を認められたと感じれたのでは?と思うと同時に、彼にとってはこれで良かったんだと思わせてくれる、すごく心に残るラストでした。
おわりに
以上、『ジョーカー』の感想でした。
バットマンの宿敵ジョーカーの誕生を描いているので、暴力的な描写ももちろんあります。
ですが、それ以上にジョーカーの内面の描写や過激なシーンとのバランスが素晴らしいので、不思議と暴力的な映画という印象を受けません。
脚本、演技、映像、音楽。
『ジョーカー』は全てが素晴らしく、歴史に残る映画といっても過言ではありません。
こんな作品に、生きているうちに出会えたことに感謝!
作品を見返す時って、私は大抵DVDが出てからにするのですが、この作品に関してはせめてもう一度映画館で観たいなぁ~と思っています。
ではではまた~!
参考:シネマトゥデイ
作品情報
原題 | Joker |
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製作国 | アメリカ |
製作年 | 2019年 |
上映時間 | 122分 |
監督 | トッド・フィリップス |